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2006年 02月 01日
ライブドア 平松庚三新社長の働き方
企業におけるOBと会社とのかかわり方について、ソニーとSOBAを例に考えさせられる。

ソニーの社員OB会には、3つあるという。

1つは、「ソニー友の会」で、定年まで勤めた元社員や元役員で構成される。
2つめは、「ソニーグループに一年以上在籍した退職者の会」であり、ソニーが創業四○周年を迎えた1986年に、当時の盛田昭夫会長)が「同じソニーの中で仕事をした人たちとの絆をもっと広げようじゃないか」と発言したのがきっかけで、誕生した。
以上の二つが「ソニー公認」のOB会なのに対し、
3つめの、「SOBA」は「ソニー非公認」。Sony Old Boys & Girls Association の略で、ソニーの外に夢を求めて、あるいはソニーに居場所がなくなって、他社に活躍の場を求めた人達の会である。非公認の会にもかかわらず、ソニーの現役の社長や副社長がゲストとして喜んで顔を出し、「ここだけの話だが」などといって、楽しそうにスピーチするそうだ。

このSOBAの、設立発起人であり、13年間代表幹事を務めているのが、ライブドア新社長平松庚三氏である。

ここで、平松氏の経歴を見てみよう
平松氏は1946年1月生まれ。
1964年 早稲田大学文学部演劇学科に入学、すぐに8ヶ月間東南アジアをヒッチハイク。
1969年 読売新聞でアルバイト。
1970年 早大中退し、読売新聞ワシントン支局でアルバイトをしながら、社費でメリーランド大学に留学。 
       このときのワシントン支局長がナベツネこと渡辺恒雄氏。 
       ワシントン勤務の2カ月目、「アメリカの北爆停止再開を示唆」というニュースを落とし、
       ナベツネに怒鳴られ、10時間土下座して、許してもらったというエピソードがある。
       (なお、ナベツネは後に平松氏の仲人を務める)
       その後、ジャーナリズム学科のあるアメリカン大学に編入
1973年 卒業(27歳)
       読売新聞には入社せず、米国ソニーに入社。
       駐米広報マンとして、天皇訪米イベントや、「家庭用ビデオの市場創出」に従事。
1979年 日本帰国。海外事業部の広告課に所属。
1982年 オーディオ事業部に異動。(事業部長は出井伸之)
1983年 アスキーの西和彦社長からMSX規格の話を聞き、MSX陣営に参加。
       当時の任天堂のファミコンに対抗しようと、ゲームソフトの開発に励んだが、
       結局MSXは各社とも実らず。
1986年 AMEXジャパンから、ヘッドハンティング。
       広報ディレクターとして、会員向け雑誌の立ち上げ。
1989年 副社長として法人カード部門と旅行営業部門を統括。
       AMEXに入社の際、盛田会長は、AMEXのCEOのジム・ロビンソン氏に平松氏を紹介している。
1992年 IDG(コンピュータ関連の出版、雑誌発行、展示会主催)の日本法人の社長
       「3年間で累積赤字を解消、失敗すれば解雇」が条件
       米国のヘッドハンティング企業、コンフリー社のサキエ・フクシマ(グレン・フクシマの妻)から、
       「ゼネラルマネジメントの経験があって、IT産業と出版業の知識と人脈があり、バイカルチュアルでバイリンガルな人」
       という条件で相談を受け、「それは、西和彦か孫正義しかいませんよ」(2人とも知り合いだったらしいが)という答えで、
       逆に適任者と判断される。
       当時IDGジャパンは赤字続きだったが。 平松氏は大リストラを断行。
       赤字を減らし、3年目で黒字浮上の目処が見えたところで、
1994年 本社からクビを宣告。しかし、日本人社員の猛反発を買い、撤回される。
       その後、3年目で黒字浮上。
1998年  ソニーをうまく使って、売上60億円を達成。これを機会にIDGを退職。
1999年  旺文社の次期社長含みで顧問
同年     AOL(米国最大のインターネットプロバイダー)本社のアジア・パシフィック担当副社長、AOLジャパンの社長。
        AOLは日本では苦戦をし、結局NTTドコモとの提携の道に至る。
2000年  インテュイット(米国財務会計ソフトの最大手)の日本法人の社長。
        この頃、インテュイットは日本のメジャーな2大会計ソフトの「大番頭」と「弥生」を買収、
        大戦略を仕掛けていた。 
        ここで、企業体質を強化し、徹底した経費節減により、利益率を7% から 26%に大きく拡大。
2003年  弥生の社長。
        経営陣のマネジメントバイアウト(MBO)により、米Intuitより独立し、弥生設立。
        弥生会計はナンバー1会計ソフトを数年続ける。
2004年  MBOに協力した投資ファンドが投資回収のため、持ち分をライブドアに売却
        弥生はライブドアの傘下。

少し、経歴が長すぎたかもしれない。
本題に戻すと、
 SOBAの「設立趣旨」は、次の二つ。
 1 ソニーで永年ともに仕事をし、現在多方面で活躍するスピリット豊かな元ソニーマン&ウーマンの交流と親睦の場を提供する。
 2 自由闊達にして愉快なる理想「人的ネットワーク」を建設する。

SOBAには「入会基準」もある。
 1 ソニーならびにそのグループから円満退社し、現在も実業に従事する者。
 2 ソニー在職歴通算10年以上の者。
 3 ソニー在職中に多大な貢献を残したと自他ともに、あるいはそのいずれかが認める者。
 4 SOBAの趣旨に賛同し、その活動に積極的に参加する意志のある者。

ソニー時代に培った人脈を活用しつつ、さらにソニーに在職したビジネスパーソンの連帯を探る。 

企業におけるOBと会社とのかかわり方について、ソニーとSOBAを例に考えさせられる。

城島明彦「ソニーを踏み台にした男たち」(集英社文庫)
大塚英樹「会社を辞めて成功した男たち」(講談社文庫)
を参考にさせていただきました。

by y-fukushima | 2006-02-01 01:32 | このBLOG(元住友金属)について


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